冬の古典落語には「火事息子」「富久」「味噌蔵(みそぐら)」「二番煎じ」「鼠穴(ねずみあな)」など、火事を題材にした名作が多い。
日本家屋は主に木と紙と土でできていて、かつ乾燥した気候のため、冬場は昔から火事が日常茶飯事。また理不尽に命と財産を奪い、人の一生を左右する火事は、ドラマとしてテーマにしやすかったのだろう。
3月24日から仕事で中国・四国地方を回っている。24日は岡山市。ご存じのように、市内では山火事の被害が甚大なものになっていた。
こんなときに落語会に足を運んでくれるお客さまの心情を考えると、当然火事の噺(はなし)は避けるのだが、冒頭のマクラで山火事の話をするか否かで悩んだ。
はじめは皆さん笑いに来ているのだから、一瞬でも忘れてもらうために一切しないことに決めていた。ただ、しゃべりながら客席を見ると空席がチラホラある。完売と聞いていたので、ともするとチケットはあるのに火事のために来られない人もいるのかと想像した。
休憩後のマクラで一言、「山火事が一刻も早く鎮火し、けがする方もなく、また来年無事でお会いできることを祈ります」とだけ口にして、あとは春の噺「花見の仇討(あだう)ち」を一席。山火事に触れたときに、心なしか客席からホッとした空気が感じられ、その後拍手が起こった。一言添えてよかった。
終演後、「知り合いがレスキュー隊員で出動中のため来られず、とても残念がっていました」というメッセージをくれたお客さまもいた。
3月27日は愛媛県西条市での公演だった。隣接する今治市とともに山火事の被災中で、恐らく来場を断念された方もいただろう。
これだけ山火事が多いのは気候変動が原因か。3月末で30度近くまで気温が上がると、花見を通りこして真夏の噺をかけねばならない。温暖化もなんとかしないと四季折々の噺も限られる。
来年はお客さま、みんなそろって春らしい噺をやりたいものです。