落語家の「旬」はいつか。
そんなことを聞かれると「65歳くらいからじゃないですか」と答えてきた。なんの確証もない。年をとったら枯れてきてそれが味になるのだろう、という自分の希望的観測だ。
自分が甘かったな、と思う。現在47歳。45歳を超えたあたりから体のあちこちが「傷んで」きた。去年からついに老眼がやってきた、このコラムはスマホで書いているが、以前より10㌢は顔から離さないと字がチラつく。
眠りが浅くなった、夜中に3回は目が覚めて多くて2回トイレにいく。歩くのが遅くなった、駅まで歩くとき近所の高校生に必ず抜かれる。
酒が弱くなった、午前0時を回ると帰りたくなる。量が食べられなくなった、回転寿司は4皿を超えるとキツくなる。むせることが増えた、ゆっくり食べないと喉につかえる。肩・腰の稼働が悪くなった、頻繁に湿布の世話になる。風邪の治りが遅くなった、3日で治っていたのに1週間以上かかる。
記憶力が低下した、覚えられない思い出せない、頭の「引き出し」が開かない。集中力が低下した、これを書きながらもすでに別のことを考えている。
挙げたらキリがない。誰にもくる老化だろうが、この「傷み」にあらがわずに「旬」がくるとはとても思えない。完全に甘かった。
いつだったか、「師匠はもうアガりましたよね?」と某後輩芸人から言われた。「アガる」=「いくとこまでいったからあとはノンビリやる」というイメージか。そのときは「そんなことねえよ! オレにはまだ伸びしろがある!」と憤ったが、回転寿司で「シャリ少なめで」と弱々しく頼む自分に伸びしろがあるとは思えない。
生物として確実に衰え始めた。樹木の葉だって青々しているときに気をつけないときれいには枯れない。いま頑張らないとちゃんと枯れない。老いだけに期待してはいけない。いい枯れ具合を出すためにここが踏ん張りどころ。
紙面を借りて、自分に活を入れているのです。皆さんもそんな頃ありましたかね。