広瀬和生の「この落語を観た!」落語一之輔/春秋三夜 2025秋

2014年の「落語一之輔一夜」から始まった東京・よみうり大手町ホールでの春風亭一之輔ネタおろし独演会シリーズ。毎年一夜ずつネタおろしの日が増えていき2018年に「五夜」まで到達した後は2019年に七日連続独演会「七夜」(この時はネタおろし無し)を経て2020年から2022年まで「三昼夜」(夜の会でネタおろし)、2023年11月からは春と秋の「落語一之輔春秋三夜」となった。2025年11月に開催された「落語一之輔春秋三夜2025秋」の演目は以下のとおり。

●11月7日(金)
春風亭いっ休『金明竹』
春風亭一之輔『二コ上の先輩』
春風亭一之輔『真景累ヶ淵~宗悦殺し~』
~仲入り~
春風亭一之輔『味噌蔵』

●11月8日(土)
春風亭貫いち『粗忽長屋』
春風亭一之輔『愛犬チャッピー』
春風亭一之輔『真景累ヶ淵~豊志賀の死~』
~仲入り~
春風亭一之輔『短命』

●11月9日(日)
春風亭与いち『竹の水仙』
春風亭一之輔『時そば』
春風亭一之輔『算段の平兵衛』
~仲入り~
春風亭一之輔『天狗裁き』


<11/7>
一之輔の一席目は林家きく麿の新作落語『二コ上の先輩』。今年、一之輔はきく麿の作品を他の落語家が演じる企画「きく麿噺の会」でこの演目をネタおろしした。高校三年の時のある事件がきっかけで精神年齢がそこで止まり52歳になっても「俺はお前達の二個上の先輩だぞ!」と威張るミツルさんに命じられて怪談を語ることになった50歳の後輩二人組の噺で、一之輔は面倒臭い先輩ミツルさんを“ウザくて可愛い”キャラとして絶妙に演じて笑わせた。基本的にきく麿の原作を活かしながらも一之輔テイストを随所に加えて“らしく”演じている。

二席目はネタおろしで三遊亭圓朝作の長編『真景累ヶ淵』から『宗悦殺し』。金貸しをしている按摩の皆川宗悦が、貧乏旗本の深見新左衛門に貸した金の返済を迫って殺され、それによって宗悦の娘の志賀とお園、新左衛門の息子の新五郎と新吉との悪縁が生まれる。新吉を中心に展開することになる長い物語の発端で、宗悦を殺した新左衛門が正気を失い悲惨な最期を遂げるまでを一之輔は迫真の演技で丁寧に描いた。宗悦の死骸の入ったつづらを拾った駕籠屋の二人連れが長屋で中身を探る場面での演出は見もの。後半、新左衛門が愛人お熊を家に入れて奥方が病気になり、別の按摩が登場して……というくだりも説明的になることなくテンポ良くリアルに演じ、最後まで観客を引きつけて離さない。これほど聴き応えのある『宗悦殺し』がネタおろしとは恐れ入る。一之輔の円熟した演技力に脱帽だ。

陰惨な『宗悦殺し』の後は一転してハジケまくりの『味噌蔵』。一之輔は、ケチな主人が留守になった途端に普段できない贅沢な飲み食いをしようと画策する番頭と奉公人たちの会話を大きく膨らませ、まったく新鮮な『味噌蔵』をこしらえた。番頭が語る“カツ煮の思い出”の楽しさは一之輔の真骨頂。ケチな主人の台詞といい番頭のキャラといい、全編オリジナリティ溢れる一之輔の『味噌蔵』の可笑しさは従来の演出とはケタ違い。真冬の江戸の味噌問屋で「ラ・マルセイエーズ」が高らかに響き渡る、冬に必ず一之輔で聴きたい痛快な逸品だ。


<11/8>
二日目、一之輔の一席目はネタおろしの『愛犬チャッピー』。若き日の春風亭昇太が創作して人気を得た初期の傑作で、いまだに代表作とも言われがちだが、実のところ近年の昇太はほとんど演じなくなった。一之輔がその“幻の傑作”を現代に蘇らせてくれたのは嬉しい限り。愛犬を可愛がる飼い主と迷惑がる犬の本音とのギャップを描くという昇太の発想がいかに画期的だったかを一之輔の熱演で再確認。もともと面白いフレーズの数々を一之輔がパワーアップさせ、大いに笑わせてもらった。原作のブラックなサゲをそのまま用いるのではなく独自に作り変えたのも良い趣向。

二席目は長編『真景累ヶ淵』の中で最もポピュラーな『豊志賀の死』。一之輔は以前から手掛けていたが、ここへ来て一段と聴き応えのある噺になった。富本節の女師匠である豊志賀が遥かに年下の新吉といい仲になったものの悲惨な結末を迎えるのは志賀が宗悦の長女であり新吉が実は新左衛門の忘れ形見であったがゆえの因縁である…ということが語られることなく一席ものの怪談のように演じられることが多い噺だが、豊志賀が悲惨な最期を遂げた後の長い長い『真景累ヶ淵』における新吉の“ダメな悪人”っぷりを踏まえると、一之輔がこの『豊志賀の死』で演じる新吉は実にリアル。お久に嫉妬する豊志賀が悪女で新吉は可哀想な優男、という印象を与える演者が多いが、一之輔の『豊志賀の死』では豊志賀が実に哀れであり、鮨屋の二階でお久相手に「一緒に下総に行こう」と口説く新吉は“本性を見せた”感がある。骨太な名演だ。『豊志賀の死』以降の『真景累ヶ淵』はどんどん厭な噺になっていくのだが、一之輔で聴いてみたい気もする。

初日に続き、二日目も悲惨な噺の後は打って変わってハジケまくりの爆笑編。隠居と八五郎が遊びまくる一之輔の『短命』は、いつ聴いても「この噺をここまで膨らませるの!?」と嬉しい驚きを与えてくれるが、この日の『短命』は格別だった。この隠居は口は悪いが八五郎が大好きで、八五郎もノリのいい隠居と遊ぶのが大好き。脱線しまくる二人のジャレ合いを目の当たりにする喜びは一之輔の隠居モノの醍醐味だ。“浅草演芸ホールの客”のくだりが普段より大幅にパワーアップされていたのも特筆モノ。「12分で終わる噺をなんでこんなダラダラやってるんだよ! 客のことを考えろよ!」「俺と隠居さんが楽しけりゃいいんだよ!」という二人のやり取りの、なんと素敵なことか。全編が遊び心に満ちたこの『短命』の楽しさは何物にも代えがたい。効果的な“羽織の脱ぎ方”は落語史上に残る演出だ。


<11/9>
一之輔の一席目『時そば』は、目撃した“一文ごまかす手口”を真似ようとする男が翌日に相対する蕎麦屋の特異なキャラが、まず可笑しい。マイペースでマウントを取ってくる蕎麦屋にたじろぎながら頑張ってミッションを完遂しようとする間抜けな男、という構図が一之輔の『時そば』を実にユニークなものにしている。酷い蕎麦なのに常連客がいる理由も含め、通常の『時そば』アレンジの斜め上を行く奔放な発想が一之輔らしい。

二席目はネタおろしの『算段の平兵衛』。純然たる上方落語で、埋もれていた演目を桂米朝が掘り起こした、というよりはほとんど“米朝が創作した”と言ってもいいくらいの噺である。東京では春風亭小朝が設定を江戸に移してやっているのを2019年に観たことがあり、それはストーリーの合間に小朝一流の漫談を存分に挟み込んだ地噺に近いやり方だったと記憶する。その後、2022年には小朝の総領弟子である橘家圓太郎が『算段の平兵衛』をやるのを観た。一之輔は、その圓太郎に『算段の平兵衛』を教わったのだという。

『算段の平兵衛』は、定職を持たずあちこちでトラブルを解決したりブローカーのようなことをしたりして稼いでいる平兵衛という悪賢い男が主役。村の庄屋がお花という女を妾にしたのが女房にバレて別れることになり、平兵衛に相談すると彼自身が持参金目当てでお花を女房にする、というのが発端。平兵衛とお花は遊山旅に出て金を使い果たし、博奕で取り返そうとするが一文無しに。そこで企んだのが、お花に未練がある庄屋に美人局を仕掛けること。ところがそれがとんでもないことに……と、最後まであらすじを書いてしまったらネタバレなので、詳しくは伏せるが、要は「平兵衛が死人絡みのアクシデントをチャンスに変えてどんどん金を儲けていく」というドタバタ仕立てのピカレスクロマン。死体をあちこちに運ぶ成行きはいかにも上方落語らしい。

ラスト、平兵衛が悪知恵を働かせてまんまと大金をせしめた後、米朝は地の語りで「これで無事に済めばええんですが、疑いを持った按摩の徳の市が探りに入り、平兵衛をゆすりに掛かるという……今日はこの辺で」とサゲていたが(小朝も米朝型)、圓太郎は捻りを加え、按摩の杢市と庄屋の倅が平兵衛の悪事を暴こうとしたものの「気がつけば平兵衛がこの村の庄屋になっていたという……」というサゲかた。その他、上方の演者が幾つかサゲのパターンを考案しているが、一之輔はどれともまったく異なるオリジナルのサゲを考案した。大金をせしめた平兵衛も、いいことばかりは続かない……という意外な展開に持っていき、完璧に“落語らしい”オチを付けた。以前、僕はnoteで「この圓太郎版『算段の平兵衛』を教わる有望な若手が出てくれば、東京の演目として定着するかもしれない」と書いたことがあるのだが、まさにそれを一之輔が果たしてくれそうだ。

三席目の『天狗裁き』も桂米朝の演目だが、米朝は十代目金原亭馬生の『天狗裁き』を聴いて「こういう噺があるのか」と参考にしつつ、上方で絶えていた『羽団扇』の前半の再構築という形で独自の『天狗裁き』をこしらえたのだという。東京で柳家さん喬などが演じている『天狗裁き』は米朝の型で、馬生の『天狗裁き』とは異なる。ちなみに、よく似た噺で後半が異なる『羽団扇』を立川談志がやっていたが、こちらは八代目桂文治がルーツ。

一之輔の『天狗裁き』は米朝型、つまり東京でさん喬が普及させた型ではあるが、そこに一之輔らしい強烈な味付けをしている。まずは亭主の夢を聞きたがった女房(一之輔は「おみっちゃん」としている)のドスの効いたキャラが衝撃的。この女房が亭主を挑発するくだりが最後に活かされて大きな笑いを生むのも素晴らしい。大家は夢を聞きたくて“ヘンなものに息吹を与える”し、奉行はとんでもない奴だし、天狗に対して八五郎はキレるしで、もうまったく別モノだ。スマートな笑いを生む米朝の『天狗裁き』をパワフルな爆笑編に生まれ変わらせた一之輔のセンスは唯一無二。結果的に三日とも「トリネタはハジケまくり」という形でお開きとなった。

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