毎年恒例の「落語一之輔」公演を終え、今年の大仕事が片付いた。
楽日に「万両婿(小間物屋政談)」をネタおろし。小間物屋の小四郎が旅の最中、追い剝ぎにあった男に遭遇する。気の毒に思い着物と金を都合してやるが、男はその後、小田原の旅籠で病死。知らせを受けて亡きがらを引き取りにきた小四郎の家主は、男の顔を改めることなくその着物と財布をみて「小四郎だ!」と早合点してしまう。江戸に戻り小四郎の弔いをあげ、小四郎の女房に新しい亭主をもたせて、しばらくすると生きていた小四郎が江戸に戻ってきて…さぁ大変! という噺だ。
事件の原因のすべては家主の思い込みが強すぎて、他人の意見を聞かないこと。物事をじっくり考えず、疑うということを知らず、なんやかんや都合のいい理屈をつけて周りを巻き込んでいく。この家主があまりにエキセントリックなので、客席もばかばかしさゆえに笑ってしまうが、笑えないのは現実にもこういう人がたくさんいることだ。
たとえば有名人が亡くなると「○○が原因」と声高にネットで声を上げる「家主」さんが続出する。「家主」たちは「自分は気づいた!」「わからない人はかわいそう」と上から目線。いわゆるオールドメディアと交流サイト(SNS)なら、どちらかだけを摂取し続けるのでなく、バランスをとればいいのに、片方をはなからフェイクと決めつける。信じ込むのは気持ちいいかもしれないが、その先へ想像力を働かせる余裕が欲しい。
「万両婿」を口演して気づいたのは、この家主のようなタイプの人物は演じていると気持ちよく爽快だということ。疑いなく真っすぐに自分の主張ばかり繰り返すのは演技といえども実に心地いい。
私は噺家になったとき先輩から「他人から褒められたらわなだと思え」なんて言われたので、なんでも疑ってかかる癖がついてしまった。疑り深いのもどうかと思うが、むやみやたらと「声の大きな人」ほど、まず一歩引いてみた方がいい。その滑稽さがよくわかるから。
【直球&曲球】笑えない早合点 春風亭一之輔
