2022年7月7日(木)「J亭スピンオフ 桃月庵白酒・春風亭一之輔 大手町二人会」@日経ホール。演目は以下のとおり。
春風亭いっ休『たらちね』
柳亭市弥『あくび指南』
桃月庵白酒『代書屋』
桃月庵白酒『青菜』
~仲入り~
柳亭市弥『紙入れ』
桃月庵白酒『臆病源兵衛』
白浪の『粗忽長屋』は八五郎に連れてこられた熊五郎が死骸に対面して「これ、辰公じゃないか?」と言い出し、とんでもない事態に発展する異色の演出。飄々とした白浪特有の語り口と、トンデモな展開とのミスマッチが可笑しい。「俺、トメだけど」という台詞が頭にこびりついて離れない。
この日、一之輔が体調不良で休演(後に新型コロナウイルス感染と判明)、二ツ目枠のゲスト柳亭市弥が急遽、二席務めることになった。その一席目は二ヵ月後の真打昇進で八代目柳亭小燕枝を襲名することになった顛末をマクラで語った後、『あくび指南』へ。柳家喜多八がルーツの型で、この系統の『あくび指南』は春風亭一之輔や古今亭文菊が演じている。市弥は色っぽい女が出てきてあくびを習う男がハシャぎまくるあたりまでは文菊に近い雰囲気だが、あくびを指南する欠伸斎長息の登場で俄然、独自の世界に突入する。この欠伸斎、林家彦六の晩年の物真似みたいなヨボヨボの喋り方なのがまず可笑しいが、いざ稽古で“夏のあくび”の台詞を言う段でになると一転してキリッと江戸前な口調になる落差がバカバカしくていい。こんな欠伸斎長息は初めて観た。あくびを教わる男の異様なテンションの高さも笑いを呼ぶ。市弥にこんな一面があったとは、と驚いた。
あえて一之輔の出囃子「さつまさ」で高座に上がった白酒は、今やすっかり十八番となった感のある『代書屋』を。物わかりが悪いにもほどがある“盛ちゃん”の名前を聞き出すだけでとんでもなく苦労する今のやり方の『代書屋』を白酒がさかんにやるようになったのは2021年だったと思う(僕自身は8月に兼好との二人会で初めて聴いた)。あの頃は職歴の件も演じて賞罰まで行って「嘘だと思ったらその履歴書をごらんなさい」でサゲていたが、そのうち現住所や生年月日や名前、学歴などを聞き出すのにあまりに苦労した代書屋が、職歴を聞く気も起らず「あんたみたいな人、初めてだよ! 一体どういう人間なんだ」と呆れると、客が「あ、私の人となり? 履歴書をごらんなさい」と答えてサゲるようになった。圧巻だったのは2022年1月29日の「ザ・桃月庵白酒 其の八 ライト」での『代書屋』で、サゲを言って高座を降りていく白酒の様子が、面倒臭い客に疲れ果てた代書屋そのままだったので場内にもうひと笑いが起こったのを鮮明に思い出す。全編白酒ならではのボケとツッコミ満載の爆笑編。異次元の可笑しさだ。盛ちゃんこと小林盛夫の名を聞き出すくだりでの「二度寝の盛夫」が僕は大好きなのだが、「ウケないことが多い」のでカットすることがあると白酒に聞いたことがある。この日の『代書屋』ではきっちり「二度寝の盛夫」を入れていて爆笑を誘っていた。
白酒は『代書屋』のサゲを言った後、そのまま高座に残って二席目の『青菜』へ。白酒の『青菜』は、前半のお屋敷の場面で奥方の「鞍馬から牛若丸が出でましてその名を九郎判官」を聞いた植木屋が「早く逃げましょう! ボーガン持ったクロマニヨン人が来るって奥様が!」とうろたえたり(それに対する旦那の落ち着いた「それが本当なら逃げなければいけませんが」という返しが妙に可笑しい)、奥方の三つ指を突いた形を「最上級の物もらいですね!」と誉めたりと、随所に白酒ならではの台詞があって楽しく、帰りがけの「鯉の洗いなんて酢味噌の味しかしなくて美味くもなんともねえ。美味かったのは氷だね!」という身も蓋もない本音も笑ったが、後半のオウム返しが実にいい。最大の特徴はお屋敷の隠し言葉のくだりをを聞いた女房が「いいわよそれ! うちでもやりたいわ! お屋敷よなんて言われて近所の人をこき使えるから!」と大喜び、「あ、八っつぁんが来たからやりましょう!」と自ら嬉々として押入れに入ること。女房が自発的に隠し言葉をやりたがる『青菜』は白酒だけだ。来客に対して声をひっくりかえして覚えたままの台詞を発する植木屋のテンションの高さはそれだけで笑いを呼び、「ゆうべの酒じゃねえか」とか「イワシの塩焼きじゃねえか」と言われるたびに「おわかりか」と感心するトーンがなんとも可笑しい。汗まみれで満面の笑みを浮かべてこれまたハイテンションで隠し言葉を発する女房のバカバカしい光景は、まさに“猛暑が生んだ狂気”そのもの。噺の本質を外すことなく演者自身のキャラが強烈に反映された独自のアプローチで異色の聴き応えを生む逸品だ。
市弥の二席目『紙入れ』は若い男を引っ張り込む人妻の過剰な色気が笑いを呼ぶ冒頭が印象的。市弥には年増に惚れられて窮地に陥る気弱な色男の役どころがよく似合う。登場人物の演じ分けがリアルで落語らしく、気持ちよく聞けた。通常のサゲを通り越してもうひとひねりしたサゲには意表を突かれた。「小燕枝」としての活躍を期待。
先代金原亭馬生の演目『臆病源兵衛』。臆病者の源兵衛を脅かそうとした八五郎があべこべに源兵衛に殴り殺され、源兵衛が死体を捨てに行くと人が来たので死体の入ったつづらを放り出して逃げると、実は八五郎は気絶していただけだったという噺。「臆病者を女をダシにして呼び出して脅かす」という発端、逆に殴り殺されるというあんまりな展開、実は生きていた八五郎が「自分は死んだ」と思い込んでウロウロしてサゲへ……と書くとつまらなく思えるが、馬生が演じると江戸の暑い夏の出来事として楽しめた。とはいえあまり一般ウケしない“珍品”だったが、五街道雲助が受け継いだことで噺に新たな生命が宿り、その弟子である白酒が頻繁に演じてポピュラーにした。暗闇をやたら怖がりながらもスケベで酒好きな源兵衛、というキャラの可笑しさは白酒の独壇場。自分が死んだと思って「ここは地獄か、極楽か」と思い悩む八兵衛も白酒が演じると愛嬌があり、明るく楽しめる噺になった。先代馬生が演じたサゲは、自分が死んだと思いこんだ八五郎が肉を切っているお婆さんに「ここは地獄ですか?」と訊くと「娘のおかげで極楽です」。雲助は根津の遊廓を「極楽」と称することを踏まえ、根津で遊んだ男たちが「地獄と極楽は紙一重って言うが、地獄にあんな極楽があったとは」と言うのを八兵衛が聞いて「どっちなんだ?」と思いながら遊廓に足を踏み入れ、「ここは地獄ですか?」と客に訊くと「こんな極楽はまたとございません」と答え、遊女に「ここは極楽ですね?」と訊くと「地獄の真ん中だよ」と答えるというくだりを経て、馬生のサゲに至るという演出。白酒は「地獄にあんな極楽があったとは」というのを聞いて「どっちだよ」と思うところまでは雲助と同じだが、遊廓に足を踏み入れ遊女を弁天様だと思って「やった! ここは極楽だ!」と浮かれていると、死に装束の八五郎を見た男が「おい、死人が踊ってるぜ」「粋な野郎じゃねえか、地獄に仏だ」でサゲとした。『臆病源兵衛』を普通に落語ファンが楽しめる噺にした白酒の功績は大きい。一之輔不在の分を補うかのように、白酒が持ち味を存分に発揮した一夜だった。