広瀬和生の「この落語を聴いたSP」 春秋三夜2023秋 一之輔(令和5年12月分)

2014年に始まったよみうり大手町ホールでの春風亭一之輔独演会「落語一之輔」が10周年を迎えた。2014年の「一之輔一夜」に始まり毎年一夜ずつ増えて2018年の「五夜」まで一夜につき一席のネタおろしが課され、2019年には「志ん朝七夜」「談春七夜」の向こうを張る「一之輔七夜」を開催、2020年からは昼夜公演の「一之輔三昼夜」で一夜一席ネタおろしが復活。2021年、2022年と続いた「三昼夜」に代わって2023年に始まったのは「春秋三夜」。11月19・20・21日に行なわれた秋公演とセットになる春公演は2024年4月19・20・21日に開催される。

今回の「春秋三夜2023秋」で一之輔が演じた演目は以下のとおり。
第一夜:『ふぐ鍋』『だくだく』『居残り佐平次』
第二夜:『饅頭怖い』『水屋の富』『中村仲蔵』
第三夜:『もぐら泥』『按摩の炬燵』『柳田格之進』

「春秋三夜」においても一夜一席ネタおろしは継承されている。今回のネタおろしはそれぞれの夜の二席目に演じた『だくだく』『水屋の富』『按摩の炬燵』。なお一席目に演じた『ふぐ鍋』『饅頭怖い』『もぐら泥』は今年の初めの頃にネタおろしした演目。『ふぐ鍋』は最後に雑炊を作る時の一之輔本人の徹底したこだわりと、実に美味そうな出来上がりに「ふぐ鍋食べたい!」と思わせる素敵な演出が際立つ。『饅頭怖い』は「戦争が怖い」「差別が怖い」「究極に怖いのは人間だ」「SDGsが叫ばれる世の中にムカデは無駄に足が多い」「カブトムシはジェンダーフリーに反する」とか言う“意識高い系”の連中が意表を突く可笑しさ。「俺の嫌いなものに安易に乗っかるな」とか「夏に毛を纏ってる毛虫は心に闇を抱えてる」とか、従来の『饅頭怖い』にはないやり取りの数々が最高だ。「美味い、美味すぎる。十万石饅頭」という埼玉県人にしかわからないフレーズが出てくるのも堪らない。さすがは春日部高校(笑)。小三治十八番の『もぐら泥』を見事に継承した喜多八も亡き今、一之輔が『もぐら泥』を受け継いでくれたのは個人的にとても嬉しかった。


初日にネタおろしした『だくだく』は、先生に絵を描いてもらう時の八五郎がノリノリで細かいリクエストを出す様子が実に楽しい。この前半がご機嫌かどうかがこの噺の肝だと僕は思う。柳家喜多八の『だくだく』の「ようがす!」連発のご陽気な八五郎はまさにそれ。一之輔は八五郎が先生を「巧いねえ!」とおだてつつ段々と悪ノリしていくのが可愛い。「クロード・モネの“睡蓮の絵”の絵を描いてください」「絵の絵!? 描けるか!」「描ける描ける」「描いた!」「いいねえ、モネですねえ、巧い巧い」といったノリのいいやり取りは一之輔ならでは。八五郎の無茶ぶりに見事に応える先生の超人的な上手さも可笑しい。

ちなみに川戸貞吉氏は著書「落語大百科」で「『だくだく』は非常に珍しい噺である。40年以上落語を聴いているが、この噺にぶつかったのは10回もない」と書かれている。僕もかつては『だくだく』と言えば喜多八、そしてサゲを変えた立川志の輔の演目というイメージで、他には古今亭志ん橋、当代桂文治で聴くことがあったくらいだが、近年はわりとよく聴く噺になった。おそらく、この前半部分での“遊び”で独自性を出すことに楽しさを見出す若手が増えてきたのだろう。(後半で文字どおり“遊び”を泥棒と住人が繰り広げる立川こしらは例外中の例外だ) 後半、一之輔は泥棒が突き指したり絵に描かれたおかみさんに謝ったりするバカバカしさを交えつつ、「こっちも“つもり”で盗ってやる」と泥棒が独り芝居してるのを見た八五郎が応戦、一気呵成にサゲまで突き進むアップテンポの語り口が爽快だ。


『水屋の富』は哀しい噺だ。重い水をせっせと運んで大した儲けにならず休むことが許されない水屋という稼業をやめたくてしょうがない男が、千両富に当たったもののすぐにやめられず、大金(二割引かれて八百両)を自宅の床下に隠したものの金が気になって悪夢にうなされロクに眠れず、疑心暗鬼に陥ってなかなか長屋を出られず長屋に遅れて行っては怒られ続けてヘトヘトに。そんな水屋の不審な様子を見たチンピラが金を盗んでしまうと、帰宅して金が盗まれたことを知った水屋が泣き笑いで「これで苦労がなくなった」……。どうにも水屋が可哀想すぎる。この噺は志ん生の演目で、志ん朝が受け継いだ。人間の哀しい性を描いた“重い”噺だが、志ん朝は持ち前のリズミカルな語り口で憔悴していく水屋の姿をコミカルに描いて笑わせた。近年では桃月庵白酒が笑いの多い噺として聴かせることに成功している。

一之輔が演じた『水屋の富』は、水屋の名を清兵衛としていること、千両富のくじを仲間に売りつけられたという設定や当選した金を脱いだ股引に入れて持ち帰ること、サゲの台詞が「これでぐっすり眠れる」であること等々、志ん朝の型ではなく柳家さん喬の『水屋の富』と共通する部分が多い。柳家一琴もこの型でやっていた。(当たりくじの番号はそれぞれ微妙に違っていたと思うが)

今回のネタおろしでは、持って帰った八百両をどこに隠そうか悩む様子をひときわドタバタ調で描いて笑わせると、夜中に悪夢にうなされて起きた後「眠れない、けど嬉しい」と“嬉しさで眠れない”という方向に持っていき、翌朝も「八百両、お前がいるから嬉しいな♪」と殊更にウキウキする水屋を描いたのが印象的。夜中に長屋の連中に起こされて「大家が小豆相場に手を出してこの長屋が借金のかたに取られて俺たちみんな追い出されるから長屋を買い取ってくれよ」と迫られる……というのはさん喬も演じていた悪夢だが、商いに出て吾妻橋を通りかかると「八百両なくした」と身投げしようとする文七に遭遇して「どこからどこまでが夢なんだよ!」というのは一之輔らしい遊び心。

誰を見ても疑わしく思えて追い込まれていく水屋の描写は真に迫り、金を盗まれて泣き叫んだ後にホッとした表情で「これでぐっすり眠れる」と呟くサゲに説得力を持たせた。高座を終えた後、「なかなか手が出なかった噺で、予想以上に消耗したけどやりがいのある噺」と言っていたが、“哀しい噺”に終わらず“人間を描く噺”としてしみじみとした余韻を残したのは、ネタおろしとしては成功だろう。さらにやり続けることでより深みを持たせて“一之輔の噺”として練れてくるはずだ。


『按摩の炬燵』と言えば八代目桂文楽十八番。元は上方落語で三代目小さんが東京に持ってきた噺だ。「按摩を炬燵代わりにする」という設定が現代にそぐわないからか、あまり演じられることがない。現代の演者では柳家喬太郎が得意としている。按摩を炬燵代わりにする行為に漂う差別的な匂いを排除するためか、喜多八は『幇間の炬燵』としてやっていた。

一之輔は、同じく按摩ネタである『麻のれん』(『按摩の蚊帳』)を得意としているからか、『按摩の炬燵』もネタおろしとは思えないほど“やり慣れた”感が漂っていて、聴いていて心地好い。一之輔は按摩の米市を実に愛すべき男として演じ、寒い冬の江戸の夜の大店の風景を見事に浮かび上がらせた。こういう噺を素直に楽しめるものとして聞かせてくれるのは、つまるところ演者である一之輔の人柄なのかもしれない。

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