21世紀の落語界には「新規ファン層の流入」の大きな波が三つあった。第一波は言うまでもなく2005年前後の落語ブーム」、第二波は「成金」「シブラク」「昭和元禄落語心中」という三つのキーワードがもたらした2016年前後のプチ落語ブーム。そして第三波は2020年に襲ったコロナ禍での「ステイホーム」によりインターネットを通じて落語を発見した層が現実の落語会に足繁く足を運び始めた“今”だ。これらの三つの波がもたらしたファン層の変化を、僕はいつも客席で強く実感してきた。
新型コロナが2類から5類に移行した昨年以降、どうやら落語界はコロナ前の活況を取り戻しつつある。ただし、以前は頻繁に落語会に足を運んでいたもののコロナ禍で遠ざかったまま戻ってこない層も確実にあって、まだまだコロナ以前と同じとは言えないが、現代落語界の絶対的エースである春風亭一之輔が『笑点』で一気に国民的な知名度を得たことは極めて大きな追い風となっており、一之輔をきっかけに“落語ファン”になっていく人々はこれから増えそうだ。
一之輔が真打昇進したのは2012年のことで、以来彼は古典を大胆に自分の側に引き寄せた独特の芸風で突っ走ってきた。コロナ禍で寄席が休席となった時、トリを取るはずだった十日間にYouTubeで一之輔が生の高座を無料配信した際の視聴者数は1万人に及んだ。その中には当然のことながら一之輔を初めて観る人が多く、コメント欄には一之輔の暴れっぷりに「さすがにこれは寄席じゃ無理だろ」という書き込みもあったが、あれはいたって“普段の一之輔”だった。そして、そういう一之輔の自由さを現代の落語界が当たり前に受け入れているのは、すでに“現代的な古典”を受け入れる地盤が出来ていたからで、その最大の功労者は桃月庵白酒だと、僕は思っている。
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2005年に真打昇進した白酒は、落語ブームの波の中で独自の演出による“新鮮な古典”の演者として脚光を浴びた。だが白酒は立川流の談春や志らくのように独演会を主戦場としたのではなく、あくまで活動の基盤は寄席の定席だった。自主公演の勉強会の規模もどんどん大きくなり、すぐにホール落語の常連となっていくが、白酒はあくまで「寄席にいつも出ている」落語家だった。ここに大きな意味がある。落語ブームの真っただ中に登場した白酒が、寄席という保守本流の場で、江戸落語の伝統を身にまといながら、尖った古典(と毒のあるマクラ)を涼しい顔で演じ続けたからこそ、2010年以降の“自由な落語界”が生まれたのである。
その白酒が年に一度、よみうり大手町ホールで行なっているのが「ザ・桃月庵白酒」という独演会だ。2015年にスタートした当初は「春夏秋冬 白酒噺」と銘打たれており、四季の大ネタ四席を演じるというコンセプトを打ち出していた。翌年から副題は「白酒噺 四季」と変わったが、コンセプトは同じ。それが2020年まで続いた後、2021年からは「ザ・桃月庵白酒 ライト」となった。“大ネタ限定”の枠を外しながらも、四席演じるのは不変。3月2日に行なわれた「ザ・桃月庵白酒 其の十 ライト」で白酒が演じたのは『短命』『今戸の狐』『雛鍔』『居残り佐平次』の四席で、『居残り佐平次』と『今戸の狐』はネタ出し。大ネタ限定ではないとはいえ、独演会で一人が四席演じるというのは、通常の独演会ではあり得ないボリューム感だ。
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白酒の『短命』は二人目の亭主を“ブリのアラ”と表現する五代目圓楽系。例え話で“短命のわけ”を我慢強く仄めかしていた隠居が八五郎のあまりの物わかりの悪さにイライラして核心に迫っていく様子が実に可笑しい。トボケた八五郎のキャラも白酒ならでは。家に帰ってからの八五郎と女房のやり取りは、殊更に大袈裟にせず長屋の夫婦の日常として描きながら、なんともコミカルで笑わせる“程の良さ”が見事。
『今戸の狐』は古今亭・金原亭のお家芸で、「勘違いによる噛み合わない会話」の可笑しさの究極の形とも言える噺。「サイコロを3つ使う賭博を“キツネ”と呼んだ」等の仕込みが必要で、志ん朝はそこが実に上手かったが、白酒も実体験に基づく“笑える話”を自然に符牒の仕込みへと結びつけ、千住を“コツ”といったという説明は巧みに本編に組み込んだ。町のゴロツキが「賭場が出来ている」と誤解する三笑亭可楽宅での“夜の金勘定”を、志ん朝はある時期から「寄席のワリをトリの噺家が各出演者に分配する」という風習に変えていたが、白酒は志ん生や馬生の「前座が寄席でクジを売って儲けた銭の勘定」を踏襲。“狐”の勘違いだけで引っ張る噺を最後までまったくダレさせることなく大いに笑わせてくれる白酒の力量に感服した。
『雛鍔』は寄席でよく演じられる軽めの噺。こういう演目で聴き手を満足させてくれるところに白酒の“落語の巧さ”が表われている。お屋敷の坊ちゃんのエピソードを植木屋の息子が復唱できるくらいしっかり聴いていたという演出は新鮮。お店の旦那の前に現われたこの息子のわざとらしさが可笑しい。
『居残り佐平次』は三遊亭圓生が「圓生百席」で「この噺のサゲはわかりにくいので」と、マクラでサゲを先に言って解説していたくらいで、「おこわにかけやがった」「旦那の頭がゴマ塩ですから」という本来のサゲは、そのままでは理解不能。なので談志や小三治はそれぞれ独自のサゲを考案したが、白酒もまた独自のサゲを創作している。白酒が演じる佐平次の調子の良さは格別で、「居残りがいないと店が回らない」というところまで至るのが凄い。店の旦那に自分が凶状持ちだと打ち明ける場面では通常「ガキの折りから手癖が悪く、抜け参りからぐれ出して……碁打といって寺々や」と白浪五人男の台詞を持ち出して「どっかで聞いた台詞だな」となるわけだが、現代の落語ファンがここで「どっかで聞いた台詞」に共感するかは疑問。白酒はここで“小さい頃から悪ガキで……”と某ヒット曲に酷似した台詞を持ち出して笑いを呼ぶ。こっちのほうがよっぽど「どっかで聴いた台詞」だ。
最初から最後まで全編笑いに満ちた四席を堪能。今年の「ザ・桃月庵白酒」もボリューム満点の素敵な会だった。