広瀬和生の「J亭を聴いた」 J亭スピンオフ桃月庵白酒・春風亭一之輔 大手町二人会(令和6年6月分)

2024年5月23日(木)

「J亭スピンオフ 桃月庵白酒・春風亭一之輔 大手町二人会」@日経ホール

 

<演目は以下のとおり>

 柳亭信楽『エレベーター』
 桃月庵白酒『代脈』
 春風亭一之輔『水屋の富』
    ~仲入り~
 春風亭一之輔『反対俥』
 桃月庵白酒『お化け長屋』


開口一番を務めた柳亭信楽は落語芸術協会の二ツ目。独創的な新作落語で人気上昇中、僕がいま最も注目している気鋭の若手だ。今回は「J亭」初登場ということで大師匠に当たる四代目柳亭痴楽のネタ『恋の山手線』を挨拶代わりに披露してから、自作の『エレベーター』に入った。

『エレベーター』は、とある会社の最終面接に遅れそうで慌ててエレベーターに乗り込んだ男が、先にエレベーターに乗っていた男の奇妙な振る舞いに戸惑う噺。実はこの落語、前半と後半で「奇妙な振る舞い」の持つ意味がガラッと変わり、笑いの方向性が逆転するという仕掛けがある。ネタバレを避けるために具体的には書かないが、登場人物が心の中で思っていることを観客に演者が伝える際の“落語常識”を逆手に取った、実にトリッキーな噺なのである。

そして実は、冒頭から信楽は通常の“落語常識”とは異なる「内面で思っていることの表現法」を意図的に用いていて、大抵の落語ファンはそこに違和感を抱きつつ聴いていくので、噺の後半で仕掛けが明らかになった時の衝撃は大きく、そこから客席を笑いの渦に巻き込んでいくことになる。この斬新なトリックは、この後に高座に上がる白酒や一之輔も触れずにはいられなかったほどだ。おそらくこの日の「J亭」の観客の大半が信楽ワールド初体験だっただろうが、強く印象に残ったに違いない。


『代脈』には圓生系と志ん朝系があるが、白酒はもちろん志ん朝系で、尾台良玄の弟子で出来が悪い銀南がお屋敷へ代診に行き失敗する。白酒は駕籠のくだりは割愛、銀南の食い意地の張ったキャラに焦点を絞って笑わせる。先生扱いされてハシャぎまくる銀南の可笑しさは白酒ならでは。真打昇進直後の白酒の『代脈』を聴いて「こういう他愛もない噺をここまで楽しく聴かせてくれるとは凄い!」と感銘を受けたのを思い出す。以来何度となく聴いているが、やっぱり白酒の『代脈』は面白い。


一之輔の一席目は「落語一之輔 春秋三夜 2023秋」でネタおろしした『水屋の富』。もともと志ん生の演目で、それを受け継いだ志ん朝が「この噺はつまらないので誰もやりたがらない」と言っていたのを思い出す。重労働でありながら儲けが薄い水屋(飲料水を汲んできて得意先に売り歩く商売)が一番大変なのは「休めない」ということ。千両富に当たって二割引かれた八百両を自宅に持ち帰った水屋の清兵衛が、「もう水屋は辞めていいんだ」と思いながらも得意先に行かねばならず、泥棒が入るのが心配で悪夢にうなされ疲れ果てるという状況を、一之輔はハイテンションで演じることで観客に疑問を抱かせず、理不尽なラストまで突っ走る。追い込まれていく清兵衛の心理を浮き彫りにして“人生の不条理”について考えさせる一席だ。


『反対俥』は本来「まずヨレヨレの車夫の人力車に乗ってしまい、埒が明かないので降りて足の速い車夫の人力車に乗る」という構造の噺で、前半を端折って後半に力を置く演者も多く、その場合は“やたら速い車夫”のドラム缶を飛び越したり電車と競争したりといった派手な所作が見せどころ。最近では林家つる子が川の中に潜ったり後ろ向きになったりしてウケている。だが一之輔はなんと前半の“やたら遅い車夫”にスポットを当て、この年寄りの人生(ほんの一瞬車屋に弟子入りしてすぐ教師になった)を創作して「孫娘に懇願されて学校に辞表を出して車夫を始めたところ」という凄いシチュエーションの噺として描いている。

この車夫の「嫁にいびられる」エピソードと「かわいい孫のチイちゃん」の可笑しさは、過去の『反対俥』には存在しなかったもので、むしろ擬古典の新作落語に近い。このやり方を一之輔が始めたのは2022年の「ドッサり」ツアーからだったと思うが、当時はサゲが今とは違っていた。現行の「大変な目に遭った客が最後に“立場逆転”する」というサゲは『反対俥』という演題に相応しく、見事だ。一之輔の“古典の演者としての創作力”が存分に発揮された逸品だ。


白酒の『お化け長屋』もまさに逸品。怪談話を語る際に豹変する古狸の杢兵衛の“顔と声”の可笑しさは誰にも真似できない。その杢兵衛が二人目の訪問者の鋭いツッコミの数々に翻弄され泣き出す展開も抱腹絶倒。多くの演者は二人目の訪問者の乱暴な振る舞いにタジタジとするところで終える『お化け長屋(上)』として高座に掛けるが、白酒は必ず後半を演じる。

しかもその「下」がまた実に面白い。怪談に臆せず引っ越してきてしまった男を追い出すために幽霊騒ぎを起こそうとするが、駆り出されたのは戦力外の与太郎とおタネ婆さんで、与太郎と婆さんの失敗が却って住人を怖がらせる“結果オーライ”に至るバカバカしさは“滑稽マスター”白酒の真骨頂。逃げて行ったのを見て「尻腰(しっこし)のない奴だねえ」と婆さんが呟いたのを受けて「え、引っ越さない?うまくいかなかった」でサゲるというセンスも素晴らしい。存分に楽しませてもらった。

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