落語協会の会長を10年間務めていた柳亭市馬がこの6月に任期満了で退任し、新たに柳家さん喬が会長となった。鈴々舎馬風の後を受けて2010年に落語協会会長となった柳家小三治が2014年に勇退した時に後継指名したのが当時の副会長だった市馬で、キャリア的には協会内に大勢の先輩がひしめき合う中での就任だっただけに苦労も多かっただろうが、後輩たちの意見も積極的に取り入れて風通しの良い組織作りに励み、現代に相応しい協会の地盤を固めた10年だったと言える。心から「御苦労さま」と労いたい。
さん喬は現在75歳。歴代の会長を振り返ると八代目文楽や五代目志ん生、六代目圓生らは60代、五代目小さんが57歳で、三代目圓歌と五代目馬風が60代。小三治の会長就任が70歳と高齢だったが、さん喬の75歳はそれより5歳上回る。市馬が現在62歳であることを考えると「世代が一気に逆戻りした」ことになり、外部からそれがどう見えるか様々な意見もあるだろうが、五代目小さん一門の重鎮であり東京落語界の“正統派の雄”であるさん喬には会長としての重みが充分にあり、安定した落語協会運営という観点では順当な人事だろう。協会員にとっても安心感があるに違いない。その意味では、今年で発足百年という落語協会節目の年に相応しい。
そのさん喬が出演した「第85回大手町落語会」(6月8日@日経ホール/産経らくごにて7月6日まで配信)を観た。さん喬が演じたのは『百川』。早とちりな江戸っ子のオッチョコチョイな可笑しさとどこか突拍子のないところのある田舎者との対比の妙を丁寧に描くさん喬の演技は、純粋な江戸落語としての『百川』の本質を伝えている。人情噺の名手というイメージが強いさん喬だが、こういう滑稽噺での“顔芸”的デフォルメを交えたトボケた可笑しさも素敵だ。
さん喬の出番は仲入り前。この日の「大手町落語会」では前座の柳亭市助の『たらちね』に続き、来年春に落語協会で真打昇進が決まっている林家けい木が『夢の酒』を演じた。嫌味のない端正な語り口で演じる姿が爽やかで、実にいい。若手らしい、衒いのない高座だ。真打になってからの飛躍が期待できる。
けい木に続いて高座に上がったのは柳亭こみち。様々な古典の演目で登場人物を男性から女性に代える独自のアレンジを施して噺を自分に引き寄せる試みを行なっていることでも知られるこみちだが、この日演じた『稽古屋』はそうした演目ではなく、従来の演出の中で持ち前の“落語の巧さ”を存分に発揮。女にモテたい一心で稽古屋に通う男の軽薄さをハジケた演技で表現して笑わせ、稽古屋の師匠の“らしさ”は芸達者なこみちならでは。こうした巧さがベースにあるからこそ独自のアレンジも活きてくることがよくわかる。
さん喬の『百川』からの仲入りの後は市馬が『青菜』を演じた。市馬の『青菜』は前半のお屋敷の場面はお屋敷らしく、後半の長屋は長屋らしく、どちらも実に自然で殊更に笑わせに掛かることなく、それでいて何とも可笑しいという絶妙な一席。鷹揚な旦那に相手をしてもらう植木屋の素朴な応対は微笑ましく、隠し言葉の真似をしようと頑張る植木屋はあくまで可愛げに満ちていて、女房との会話も建具屋の半公とのやり取りもすべて“腹から出た台詞”として新鮮に聴ける。これぞ“柳家の本寸法”という気持ちのいい『青菜』だ。
トリの柳家権太楼の演目は『らくだ』。権太楼は兄貴分に脅されていた屑屋が酒乱の本性を発揮して立場逆転する可笑しさがこの噺の主眼と解釈、そこを目がけて前半を勢いよく駆け抜け、らくだの死骸を落合の火屋へ運ぶ後半でもテンションが下がることなくドタバタ劇として一気にサゲまで運んでいく。酔った屑屋が「この人は弱い者いじめをする」と言って明かすらくだの乱暴エピソードは“自分の彫物を二分で買わせた”というもの。一方的に殴られた屑屋の悔しさに聴き手を共感させる権太楼のパワフルな演技は、それ以降の立場逆転でのカタルシスを倍増する。トリとしての矜持を強烈に発散する、渾身の高座だった。