2024年11月21日(木)
「J亭スピンオフ35 桃月庵白酒・春風亭一之輔 大手町二人会」@日経ホール
演目は以下のとおり
林家けい木『壺算』
春風亭一之輔『館林』
桃月庵白酒『今戸の狐』
~仲入り~
桃月庵白酒『短命』
春風亭一之輔『藪入り』
開口一番を務めたのは林家木久扇門下の二ツ目、林家けい木。来年春の真打昇進が決まっており、昇進後は「木久彦」と名を改めるという。『壺算』は大正から戦前にかけて活躍した三代目三遊亭圓馬が上方から東京へ移した噺。けい木は瀬戸物屋の店主を言葉巧みに欺く兄貴分を「威勢のいい江戸っ子」としてキリッと演じて気持ちがいい。ポンポンと畳み掛けるこの男の詐術にハマってわけがわからなくなる店主の気弱な感じも上手く表現できている。奇を衒わず正攻法で古典を演じて爽やかな印象を与える素敵な真打として活躍してくれそうだ。
剣術の道場に通う町人が“武者修行”に憧れ、先生が語って聞かせた上州館林での武勇伝の真似をしようとする『館林』は、大正から昭和にかけて活躍して戦後は落語協会の会長も務めた八代目桂文治の演目。「付け焼刃は剥げやすい」オウム返しの典型ではあるものの、ヒネリの利いたラストが強烈すぎて、楽しく聞かせるのは至難の業。それゆえ八代目文治以降、あえて手を出す落語家はほとんどいなかった。その難しい演目を、独自のセンスで軽やかに再構成して楽しく聞かせることに成功したのが三遊亭兼好だ。他に柳家喬太郎も何度か高座に掛けたことがあるが、兼好の『館林』は紛れもなく“得意ネタ”。その兼好の『館林』を教わった一之輔は、武者修行の真似をする八五郎のキャラを完全に自分のものにし、思う存分暴走させることでラストを“バカバカしいオチ”にしている。擬音連発の八五郎の「ぬーん!」と首を差し出す可笑しさは一之輔ならでは。
『今戸の狐』は五代目古今亭志ん生の演目で、長男の金原亭馬生・次男の古今亭志ん朝がこれを得意ネタとし、一門の“お家芸”として伝わっている。サイコロを三つ使う博打を「キツネ」と呼ぶこと、博打うちの世界ではサイコロを「コツ」と言うこと、千住の遊廓が通称「コツ」と呼ばれていたことなど、様々な仕込みが必要で、その意味では厄介な演目だが、構成としては実によく出来た噺で、そうした“仕込み”がスムーズに聞き手に届けられたときに生まれる可笑しさは格別だ。様々な仕込みを漫談のような形で楽しく聞かせるという点で志ん朝は抜群に上手かったが、白酒も負けず劣らず実に自然な形で“仕込み”を聞かせてくれて、ラストの“すれ違う会話”の可笑しさに見事に結びつけている。
艶笑噺の『短命』は「美女と結婚した亭主が次々に早死にする」というキワドいネタながら広く演じられてポピュラーになっている。白酒の『短命』は五代目三遊亭圓楽の型がベースになっているようだが、そこに独自の台詞回しをふんだんに盛り込んで新鮮に聞かせる。この噺の肝は、隠居が遠まわしに説明する「亭主が短命な理由」をなかなか理解できない八五郎のボケっぷり。白酒の演じる八五郎の物わかりの悪さはケタ外れで、イライラしてきた隠居が遂には婉曲表現を取っ払って「ほとんどそのまま言う」に至るプロセスの可笑しさが堪らない。終盤、長屋での夫婦の会話の楽しさは白酒の真骨頂だ。
明治時代に初代柳家小せんが演じた『鼠の懸賞』を三代目三遊亭金馬が人情噺風に作り変えて十八番とした『藪入り』もまた、「鼠の懸賞」「奉公と藪入り」など幾つもの“仕込み”が必要な噺で、立川談志は弟弟子の柳家小三治に「なんで今どきあんな噺やってるんだ」と言ったというが、そう言われた小三治は「子を思う親の心はいつの時代も同じ」と『藪入り』を演じ続けた。三児の父である一之輔の『藪入り』はいつ聞いても聴き応えがあるが、特に今回の高座では、三年ぶりに帰ってきた息子の成長ぶりを目の当たりにした父が、銭湯に息子が行っている間にしみじみと「三年であんなに大きくなるんだなあ。どうやって大きくなったんだろう。三年……一緒にいたかったなあ……寂しい気がするな」と女房に語りかけたのが実に印象的だった。その後の展開にも「我が子を本気で心配しているからこその逆上」という説得力があり、サゲもストンと腑に落ちる。一段と磨き上げられた一之輔版『藪入り』の心地好い余韻が会場を包み込んでお開きとなった。