二月八日(土)に行われた「第八十九回大手町落語会」。当初予定されていた出演者のうち柳家権太楼、柳亭市馬が出演できなくなり、市馬の代演で春風亭一之輔が登場、元々の出演者である柳家さん喬が権太楼の代わりにもう一席務めた。演目は以下のとおり。
柳亭市助『元犬』
柳亭市童『黄金の大黒』
桃月庵白酒『代書屋』
柳家さん喬『抜け雀』
~仲入り~
春風亭一之輔『蝦蟇の油』
柳家さん喬『雪の瀬川』
開口一番を務めた柳亭市助は市馬の十一番弟子。二〇二一年に入門、二〇二二年に楽屋入りしている。落ち着いた語り口にトボケたクスグリを交える楽しい『元犬』で、しっかり場を温めた。将来が楽しみな前座だ。
続いて高座に上がった二ツ目の柳亭市童は市馬の四番弟子で、三月には真打昇進して松柳亭鶴枝と改名することが決まっている。大家の子供が金の大黒を掘り当てた祝いの宴席に招かれた貧乏長屋の面々がドタバタを繰り広げる『黄金の大黒』は元々上方落語で、東京へ移したのは初代柳家金語楼だが、今のようにポピュラーな演目にしたのは若き日の立川談志。現在ほとんどの演者が用いている「あんまり楽しいから仲間の恵比寿もつれてくる」というサゲも談志が考案したものだ。市童は長屋の連中を見事に演じ分け、江戸っ子のワイワイガヤガヤを生き生きと描いた。既にその高座姿には真打に相応しい落ち着きが感じられるのが頼もしい。
『代書屋』は“人間国宝”桂米朝の師匠として知られる四代目桂米團治が戦前にこしらえた新作落語。今や古典と言っていい演目となっている。東京で言えば“柳家権太楼十八番”だが、白酒は独自の斬新な演出によって権太楼とはまったく異なるテイストの爆笑編を作り上げた。代書屋にやって来た客の物わかりの悪さがとにかくケタ外れで、そのバカバカしさもさることながら、客に翻弄されながらもなんとか対応しようとする代書屋の困り果てる様子が実に可笑しい。とりわけ秀逸なのが“名前”のくだり。本名を聞き出すためにこんなに苦労する『代書屋』も珍しい。ちなみにこの客の本名、以前は“小林盛夫”(五代目小さんの本名)だったが、今回は新たな趣向を施している。
宿屋に泊った無一文の絵師が描き残した絵が奇跡を起こす『抜け雀』は古今亭志ん生・志ん朝父子が演じたことで広く知られるようになった落語。さん喬が寄席でトリを取る時などによく演じる噺のひとつで、登場人物それぞれを丁寧に描き、“自分の噺”として鮮やかに演じている。笑わせどころも多い噺で、志ん朝のリズミカルな口演を雛型とする演者が多いが、さん喬が落ち着いた語り口で演じる『抜け雀』は絵師とその父の凛とした佇まいに説得力があり、“名人の苦心譚”としての人情噺の趣さえ感じさせる。「いい話を聞かせてもらった」と思わせてくれる、爽やかな高座だ。
大道でガマの油を売る香具師の失敗を描く『蝦蟇の油』(『蟇の油』という表記も一般的)は、前半の流暢な口上の鮮やかさと後半の失敗との対比を聞かせる噺だが、一之輔が演じる“後半の失敗”は全編オリジナルで、泥酔した香具師の口から次々に飛び出す意外なフレーズがいちいち爆笑を呼ぶ。落語の中で自由に遊ぶ一之輔の真骨頂とも言える傑作だ。この演目でこれほど笑わせる噺家は前代未聞と言っていいだろう。
勘当された若旦那と瀬川花魁の純愛を描く『雪の瀬川』は、さん喬の専売特許と言うべき人情噺。六代目三遊亭圓生が『松葉屋瀬川』として演じていた噺を、さん喬は独自の演出をふんだんに盛り込んで再構成し、自分のものにしている。若旦那と瀬川が出会う前半を「上」、勘当された若旦那が昔の奉公人の居候となる後半を「下」とする長い噺で、今回の「大手町落語会」で演じたのは「下」。さん喬ならではの真に迫る演技で若旦那と彼を取り巻く人々をリアルに描き、聞き手を物語に引き込んでいく。台詞の端々までが計算し尽くされている見事な筋運びは“人情噺の達人”さん喬の面目躍如。約束を信じて「瀬川、来るよね……」と繰り返し呟く若旦那の言葉が胸を打つ。悲劇的な結末を覚悟のうえで互いを求め合う男女。雪の中、禁を犯して吉原を抜け出した瀬川が若旦那の許を訪れるクライマックスでは、さん喬一流の繊細な情景描写が二人の切ない心情を雄弁に物語る。そして再会の場面での濃密な空気感を残したまま、簡潔に述べる二人のハッピーエンド。絶妙な“間”が深い余韻を残す逸品だ。(広瀬和生)
※本稿で紹介している「第89回大手町落語会」は「産経らくご」で3月8日まで配信中です。
ぜひ本稿とあわせてお楽しみください。
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「第八十九回大手町落語会」