2023年9月7日(木)「J亭スピンオフ 桃月庵白酒・春風亭一之輔 大手町二人会」@日経ホール
演目は以下のとおり
春風亭かけ橋『時そば』
春風亭一之輔『徳ちゃん』
桃月庵白酒『宿屋の富』
~仲入り~
桃月庵白酒『禁酒番屋』
春風亭一之輔『子は鎹』
開口一番を務めた春風亭かけ橋は落語芸術協会の二ツ目。もともとは柳家三三に入門して「柳家小かじ」を名乗り、2016年に落語協会で二ツ目に昇進したが、2018年に三三門下から春風亭柳橋門下に移り、春風亭かけ橋として前座で再出発。2022年7月に二ツ目となった。演じた『時そば』は翌日に真似して失敗する男と蕎麦屋とのトボケたやり取りに独特の味があり、楽しく聴けた。
一之輔の一席目は『徳ちゃん』。二人連れの落語家が破格の安さで女郎屋に上がってとんでもない目に遭う噺で、大正時代に活躍した初代柳家三語楼が、実体験を基に創作したもの。部屋も酷ければ女郎も怪物じみた大女で、迫りくるこの女郎に恐怖して客が逃げ惑うというドタバタを、一之輔はひときわ豪快に演じて爆笑を呼ぶ。サゲは演者によって幾つかあるが、一之輔は客が放り投げた芋を追いかけて床を踏み抜いた女郎が「痛い! 助けて!」と懇願するので客がしかたなく足を抜いてやろうと近づくと「隙あり!」と抱きつかれて「おい若い衆、足抜いてやれ」「お客さん、その子と足抜けですか? もの好きですね」でサゲる。“足抜け”とは女郎が客と駆け落ちのようにして逃げ出すこと。この噺をよく演じる柳家さん喬は「足を抜かれたら商売にならない」でサゲていて、一之輔もその系統。ちなみにこの噺、白酒も得意としていて、独自のサゲを考案している。
『宿屋の富』は上方落語の『高津の富』を三代目柳家小さんが東京に持ってきた噺。古今亭志ん生が『高津の富』にかなり忠実に演っていて、それを息子の志ん朝が名作落語に磨き上げたが、それとは別に五代目柳家小さんが七代目三笑亭可楽から三代目小さん型の『宿屋の富』を継承、柳家小三治も小さんの型でやっていた。志ん生の『宿屋の富』では、客が宿泊した当日に自分の金持ち自慢をし始めるが、小さんの『宿屋の富』は宿屋の主人が「二階の客、かれこれ二十日も泊まってるけど茶代ひとつ置こうとしないよ。おかしいんじゃないのかい」と女房に言われて宿賃の催促に行く。泊まっているのは金がなくて田舎から江戸に金の工面をしに出て来た男で、主人から催促されたので苦し紛れに「金ならある」と言ったため、富札を買わされてしまうという展開。志ん生の「江戸言葉の客」は最初から騙すつもりだが、小さん版の「田舎言葉の客」は、今は宿賃を踏み倒して逃げるつもりだが金が出来たら返しに来るつもりでいる。
白酒は志ん生/志ん朝の型を踏襲しており、千両富の場所が湯島天神で一等の当選番号が「子の千三百六十五番」。小さん系は椙森の稲荷が富の場所で、当選番号が「鶴の千三百五十八番」だった。富札を買った連中がくじの当日、現場に集まってワイワイやるのを描くのが『高津の富』や志ん生版『宿屋の富』の見せ場で、「五百両で吉原から女を身請けする、当たらなかったらうどん食って寝ちゃう」と言う男の「刺身があって天ぷらがあって鰻があって……」という妄想ノロケ話のリズミカルな描写は志ん朝ならではの名場面。これを白酒も継承しながらさらに楽しく演じている。小さん系にはこうした群衆の描写がなく、なけなしの一分で富札を買った客にスポットを当て続ける演出だ。
『宿屋の富』は志ん朝十八番としてポピュラーになったため、今この噺をやる落語家の多くは古今亭の演出ベースだが、男のホラ話の一環として「家の敷地が広大である」ということを自慢するくだりは志ん生ではなく小さんにあるもので、白酒がやっている「新築した離れまで七日掛かっても辿り着けなかった」というのは小さん演出の踏襲だが、もちろん「その旅の途中で句をしたためて『奥の細道』として売ったら評判になった」という途方もないホラは白酒オリジナル。「敷地がどんなに広大か」を強調するために近年いろんな演者がその荒唐無稽さをエスカレートさせているが、志ん生の型の中に「広大な敷地のホラ話」をこれでもかと投入して大きく膨らませた最初の演者は立川談志だろう。
白酒の『宿屋の富』は前座の頃に師匠の五街道雲助に教わったものをベースに、自分の色で陽気に染め上げた逸品。千両当たる男も富の当日の群衆も、なんとも素敵だ。千両当たったと気付いて「たった、たった、たった!」と叫ぶ場面は桂枝雀の『高津の富』に通じるものだが、それを見た第三者が「木村庄之助がいるぞ」とか「式守伊之助がいるぞ」と言い出すバカバカしさや「泣きながらうどん食ってるヤツがいる」といった可笑しさは白酒ならでは。今、この噺を最も面白く演じているのは白酒だと断言してしまいたい。
「どっこしょ」ではなく「ドイツの将校」だと言い逃れようとするので有名な白酒の『禁酒番屋』の楽しさもまた、別格だ。白酒の巧さが目立つのは番屋の役人がどんどん酔っていく描写。今回の高座では「酔っ払って何を言ってるのかわからない」役人のバカバカしいまでの可笑しさが特筆モノで、大笑いさせられた。自称“小便屋”が来た時に「みども、ご同役、門番」と言いながら湯呑を配る可愛さも印象的だ。
『子は鎹』はもはや一之輔十八番と言っていいだろう。なんと言っても亀吉の可愛さが際立っていて、そんな亀吉を愛おしく思う父の心情に自然と共感してしまう。ちょっと生意気で、どこか冷めていて、芯の強さも感じさせ、でもあくまで子供らしいという、この匙加減が抜群だ。一之輔の『子は鎹』は、演者である一之輔自身のリアルな“父子”観が見事に反映されている気がする。小遣いをもらった亀吉が「このお金で靴を買う」と決めて「今度、靴履いてるとこ見てくれよ」と無邪気に言うと、父は一瞬言葉を詰まらせた後、「またどっかで会ったら見てやるよ。だから、いつも履いてろ」と明るく言う。この場面、父の心情を想ってグッと来た。こういうところは一之輔の独壇場だ。斎藤さんの坊ちゃんが額に傷をつけたエピソードも、亀吉があくまでカラッと「どうってことねえよ」と語るからこそ、父はこらえきれずに泣いてしまう。「鰻食べてるか?」と訊かれて「靴買えないくらい貧乏なんだから食えるわけねえだろ! だからバカだって言われるんだよ!」と鋭く切り返す亀吉は、十八番『初天神』の生意気な子供とキャラが被るくらい強くて明るい子どもで、だからこそ胸に沁みる。
夫婦のなれそめを母から聞いたと息子が語る場面で熊がふと横を見て「八百屋、なに聞いてやがるんだ!」と言って笑いが起こるのは志ん生の演出で、立川志らくはこれを踏襲しながら八百屋に「いい話ですねえ、なすびあげます」などと言わせ、最後の鰻屋の場面ではこの八百屋が偶然居合わせて亀吉のサゲの言葉を引き出す重要な役割を担っていたりするが、一之輔は「八百屋、なに荷を下ろして聞いているんだ!」に始まり「八百屋、近寄って来るな!」「八百屋、お前が泣くんじゃないよ!」「八百屋、お前が怒ることないだろ」等々、父子の会話が人情噺っぽくなりすぎるのを防ぐ絶妙なアクセントとして用いている。
「おっかさん、恨んでるだろうな?」と父に言われた亀吉が「そんなことないと思うよ、三年前に追い出された時に『悔しい』って泣いてたら、おっかさんに『おとっつぁんを恨んじゃいけないよ』って言われたんだ」と言いながら亀吉が明かしたのは、「出て行け」と言われた母子が途方に暮れていたら大家が「行くところがないだろうから、うちにいなさい」と三日間泊めてくれたという事実。これは一之輔の創作で、「いきなり長屋を追い出された母子が行くあてがあるのか」という疑問を見事に解消している。
最後の鰻屋の場面で亀吉は、父に向かってこう言う。「ねえ、また一緒に暮らそうよ。この間、学校の先生が言ってたんだよ。お父さんお母さんに健やかに育ててもらってるのが一番幸せなことなんですから、感謝しましょう。大きくなったら親孝行しなくちゃいけませんよ、って。『はーい!』ってみんなで言ったよ。そしたら後ろにいる野郎が「こいつ、おとっつぁんいないのに、何が『はーい』だよ」って言いやがって……本当はおとっつぁんいるのに、悔しくて……。近くに居なくちゃ親孝行なんてできるわけねえよ。もっと親孝行しやすくしておくれよ」と言った後、「また一緒に暮らそう……お願いします」と頭を下げる。この描写が実に素晴らしい。鰻屋で亀吉が「また一緒に暮らそうよ。この間、学校で先生が言ってたよ。皆さんのように両親が揃って育ててもらってるってことが一番幸せなんだって」と言い出すのは小三治の『子別れ』にあったもので、小三治は「そしたらね、皆があたいのほうをじろじろ見るから、本当はおとっつぁんいるのにと思ったら何だか悔しくなっちゃった」と続け、それも胸に迫るものがあったが、一之輔の「近くに居なくちゃ親孝行なんてできない。親孝行しやすくしてくれ」は、まさに一之輔が演じるところの亀吉にピッタリの台詞で、泣けてしまった。まさに名演。圧巻の高座だった。
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