入門したときからずっと目標にしていたことがあります。
『真打昇進披露興行の後も寄席で主任(トリ)がとれる落語家になる』
令和5年1月下席、初めて池袋演芸場で定席の主任(トリ)をとらせていただけることになりました。念願かない、これでおしまいではなく、これを活力にこれからも精進して参ります。
落語家になる前、私が会社勤めをしていたのは平成のまん真ん中。まだまだ残業と休日出勤が美徳とされていた時代でした。
初めて社会に出た20代の私は、配属された人事課で与えられた仕事を懸命にこなしていました。仕事になれてきたころ、残業しながらキャビネットの扉を開き、定年退職の手続き書類が入っているファイルを探しているとき、「私、この会社で定年まで働くのかな。20年後もこんな風に残業しているのかな」とふと考えました。
このもやもやが日に日に大きくなって、もしかしたら他にもっと合う仕事があるかもしれない。この先どうしてもやってみたいことが見つかったら、そのときは会社を辞めて飛び込んでみようと静かに誓ったのでした。
そして、悩みに悩んで28歳で会社を辞め、29歳で師匠歌る多に弟子入り。アラサーで始めた前座修行は、今までの人生で経験したことがない激しい心の葛藤を味わう日々でした。
だけど、どんなにしんどい時も会社員のころのような漠然としたもやもやだけは不思議と感じませんでした。
落語家は、安定していない、保証もない、正解がわからない仕事。だけど自分で選んだ仕事。だからなのか、理不尽で最低な状況のときでもいつも心の奥に少しだけ不思議な充実感のようなものがあり、それが支えになってここまでやってこられた気がします。
「今でもあの会社にいたらどうなっていただろう。係長くらいになっていただろうか」と考えるときもあります。
ですが、会社員は7年で卒業。落語家は今年で18年目。転職してよかったです。
おかげさまで人事課の係長より寄席の主任がうれしいアラフィフになりました。