2022年5月12日(木)「J亭スピンオフ 柳家三三・春風亭一之輔 大手町二人会」@日経ホール。演目は以下のとおり。
桃月庵白浪『粗忽長屋』
柳家三三『看板のピン』
春風亭一之輔『猫の災難』
~仲入り~
春風亭一之輔『野ざらし』
柳家三三『厩火事』
白浪の『粗忽長屋』は八五郎に連れてこられた熊五郎が死骸に対面して「これ、辰公じゃないか?」と言い出し、とんでもない事態に発展する異色の演出。飄々とした白浪特有の語り口と、トンデモな展開とのミスマッチが可笑しい。「俺、トメだけど」という台詞が頭にこびりついて離れない。
一席目の三三はマクラで「2022年2月22日22時22分の鉄道切符」を狙った顛末を語り、これが実に面白かった。2月22日、高崎の仕事から上越新幹線で帰ってきて東京駅に22時12分着。奥さんとのメールのやり取りの中で「鉄道ファンが2022年2月22日22時22分の刻印が入った220円の切符を狙っている」という話題になり、せっかくだから買ってみようとしたものの、今は券売機が減っているうえに「蔓延防止」で閉鎖されている改札もあり、「2台に6人並んでいるところ」に7人目として加わったところ、自分の番が来てから財布を開いて小銭を出そうとモタモタしてる奴、ラインが来て急遽友達の分も買うことにした奴、イチャつきながら自撮りしてるカップル等が立ち塞がり、遂に三三が買おうとした時に隣の券売機で買おうとしている奴が「あーっ!」と叫んだのに「えっ?」と驚くと「23分になっちゃいそう」という独り言。そのせいで動きが止まった三三は「23分」になってしまったという哀しい結末。このマクラで大いに笑わせてもらってからの『看板のピン』、博打ネタの落語のマクラに使われる小咄としても用いられてきた軽いネタだが、柳家小三治がこれを若い頃さかんに演じて実に面白かったので、皆がやり始めて今のようにポピュラーになったのだという。三三の『看板のピン』は親分の貫禄と真似して失敗する男のマヌケさの対比が見事。「当たり前の落語を当たり前に演じて新鮮に面白い」という、三三の“落語の巧さ”が光る一席だ。
一之輔の『猫の災難』は兄貴が鯛を会に行ってる間に酒を「ちょっとだけ」と言いわけしながら結果的に全部呑んでしまう熊五郎の暴走が最高に可笑しい逸品。「鯛で呑める」と早合点した兄貴が酒を買いに行った後、すり鉢を被せた鯛に「戻れ!」と念じ、すり鉢を外して「戻らないよね」と苦笑いしながら「無理言ってゴメン」と鯛の骨に語りかける可笑しさも一之輔ならでは。「美味いぞ、お前」とか「おい、よせよ」とか酒に語りかける“独り遊び”感も秀逸で、「兄貴の分を燗徳利に取っておけばいい」と思いついた熊五郎が、漏斗がないので一升瓶から徳利に移そうとする際に「頑張れよ、お前たち」と瓶や徳利を励ましつつ宇宙船のドッキングのように両者を合わせていき、こぼれてしまった酒が畳に沁み込んでいくのを止めようと「戻ってきてーっ! しっかりしてーっ!」と心臓マッサージのように畳を押していく一連の描写は一之輔の真骨頂。「天井裏にいた酒呑童子が出てきて酒を全部呑んじゃった」という言い訳を思いつき、「何しゅてんの?」などとダジャレ連発で酒呑童子の会話を演じて「酒呑童子が酒を呑んで去っていく」妄想独り芝居を繰り広げるバカバカしさは空前絶後。ここまで熊が暴走していく『猫の災難』は一之輔だけ。別次元の爆笑編だ。
『野ざらし』もまた、そんな一之輔の“妄想独り芝居”の楽しさが炸裂する一席だ。先生の釣竿を借りて向島に行く場面から既に八五郎の浮かれっぷりは最高潮。「あ、俺のことなんかヤだなと思っただろ! 俺はヤだなと思われるとそいつのふそばに行きたくなるたちなんだ」と宣言して釣り人たちの列に割って入り、一人で大騒ぎする八五郎のパワーに圧倒される。大声で歌う八五郎に釣り人が「魚が逃げちゃいますよ」と言いたくなる気持ちも、この八五郎ならよくわかる。おつな年増がやって来る妄想独り芝居のハジケっぷりは見事としか言いようがない。ここまでハジケてこそ『野ざらし』は面白いのだ、という手本のような高座だ。「コチョコチョ」「やめてくれ」「ツネツネ、コチョコチョ」「やめろ~」と騒いでるうちに鼻に釣針が引っかかって「こんなもん要らねえ」「この人、針とっちゃったよ」でサゲ。以前よりも一段とハジケて断然面白くなった。
三三の『厩火事』は仲人の“旦那らしさ”が際立ち、人の話を聞こうとしないおさきの天然な軽さも楽しい。この対比の妙がきちんと表現できるのが三三の素晴らしいところで、実際にそこで繰り広げられている会話に自分が立ち会っているような臨場感がある。手を怪我した姉弟子の代わりに引き受けた伊勢屋の仕事が厄介だったことをベラベラしゃべるおさきの可笑しさは三三独自のもの。おさきの「おかめって言われるのだけは許せない」という憤りに呆れて旦那が「どういうつもりでうちに来たんだ」と口を挟み、「愛想もこそも尽き果てましたので、別れさせていただきたいとお願いに上がったんです」「別れるの? 熊と? 大賛成」という展開で、昼間から刺身で呑んでた熊が許せないと旦那が言い出す。お約束の「おかめ、ひょっとこ、般若、外道」「お前んとこは面づくしで喧嘩するのか」という件がないのが嬉しい。
自分のほうが年上だから将来若い女を引っ張り込まれて悔しい思いをするんじゃないかと心配するおさきに旦那は「あんなダメな男、若い女に相手にされるはずない」と言うと、おさきは「旦那は女心がわかってない」と猛反論。「娘っていうのは年上の大人の男に憧れる時期があるんですよ。うちの人は何も考えてない能天気なバカですけど、なぜかボーッとするときにアゴに手を当ててうつむくから、若い女が見て『陰のある大人の男』って勘違いするんです! 若い女にうちの人と旦那とどっちを取るって言ったら百人が百人うちの人って言いますよ。旦那なんか見向きもされないんです、アッハッハ!」と暴走していくおさきの可笑しさには、今の三三の“落語を楽しむ余裕”のようなものが感じられる。亭主の了見を試してみろと旦那に言われたおさきが「ちょっと愚痴を聞いてもらおうと思って行ったらこんな大事になるなんて」とボヤきながら帰るのがなんとも可愛く、それを家で迎えた亭主の江戸っ子らしい描き方も魅力的。『厩火事』の肝は「喧嘩するほど仲がいい夫婦の日常」である、ということを見事に浮かび上がらせる、なんとも素敵な高座だった。