2022年に始まった、年に一度の「一宮入魂!! 一之輔・宮治ふたり会」。プライベートでも仲が良いことをうかがわせる、良い意味でダラダラしたオープニングトークの楽しさもこの会の魅力だ。第1回は宮治が『笑点』大喜利メンバーへの抜擢が発表された直後の開催だったが、それは“結果的に”そうなったのであって、チケット発売開始時点では主催者も宮治の『笑点』メンバー入りは知らなかったはず。あまりに見事なタイミングで、第1回のオープニングトークは『笑点』の話題で盛り上がったと記憶している。その時点では「お前、嘘ついてたな!」と宮治を突っ込んだ一之輔が、まさか1年後に『笑点』メンバーになると予想した人は皆無だっただろう。第2回の「一宮入魂!!」の時点ではまだ一之輔の『笑点』メンバー入りは発表されておらず、“『笑点』メンバーの二人会”となったのは今回が初めてだ。
第1回の『一宮入魂!!』開催が発表された時点では、落語界のトップランナーである一之輔と2021年に真打昇進したばかりの宮治とでは明らかに“格”が違った。例えば「J亭スピンオフ」で一之輔が桃月庵白酒や柳家三三と組んでいるのとはまったく様相が異なる企画だ。だが、結果としての『笑点』とは関係なく、こうした二人会が企画されたのも理解できた。というのもこの会の主催者は、業界でもおそらく最も早い時期から宮治を高く買っていたからだ。この主催者が国立演芸場で「挑戦! 新・宮治本舗」なる独演会を企画したのは2014年のこと。以降「宮治本舗」という名の独演会が定着し、2021年からの「その先へ」、2022年からの「もっとその先へ」、2023年から今に至る「もっともっとその先へ」と続き、着実にファンの心を掴んできた。そんな流れから見ると、この主催者が一之輔と宮治の二人会を企画しても不思議ではないし、他にはない見事な発想だと感心した。
実際、一之輔と宮治の相性は良い。『笑点』スタッフがどんな意図で一之輔を起用したのかは知らないが、「一之輔 vs 宮治」という構図はバラエティ感に満ちていて楽しいのも事実。従来の落語会で言えば、他の主催者による三遊亭天どんと一之輔との二人会が人気企画として存在し、この二人の組み合わせもまた絶妙だが、脱力感に満ちた天どんとは対照的にコテコテな宮治が一之輔と組む「一宮入魂」は落語ファンに新たな愉しみを与えてくれている。そういえば今回のオープニングトークでは一瞬“立川こしら”が話題になったが、こしらと一之輔の“噛み合わなさ”が面白かった「こしら・一之輔 ニッポンの話芸」は僕のプロデュースによる二人会。だいぶ前に僕の手を離れたこの組み合わせは、年に一度の西川口での二人会として復活したが、今年もあるのだろうか……。
実は、僕が初めて桂宮治という落語家の存在に強烈な印象を受けたのは2011年、当時まだ二ツ目の一之輔が横浜にぎわい座の地下「のげシャーレ」で行なっていた勉強会「ハマのすけえん」でのこと。前座なのにメチャメチャ暴れていた宮治の高座は僕に「芸協の前座ってこんなに自由なのか」と衝撃を与えた。当時の宮治は基本的に今と変わらない。つまり個人的に僕にとって宮治は「一之輔の会に出ていた人」という印象が強く、その連想から「一宮入魂」という企画もごく当たり前の発想に思えたりもするのだった。
3回目となる今年(1月11日@よみうりホール)の「一宮入魂」演目は以下のとおり。
春風亭一之輔×桂宮治(オープニングトーク)
金原亭駒平『金明竹』
春風亭一之輔『新聞記事』
桂宮治『死神』
~仲入り~
桂宮治『手水廻し』
春風亭一之輔『子は鎹』
一之輔の『新聞記事』は破壊的なまでに面白い。僕が毎年12月にプロデュースしている「恵比寿ルルティモ寄席
宮治の『死神』は、主人公が「うまくいっている時に傲慢すぎたから運を使い果たしてしまった」ので落ちるところまで落ち、やってはならない最後の手段に飛びついたのだという解釈を明確に打ち出している。金を使い果たした後、何故「いつも枕元に死神がいる」ことになってしまうのかが『死神』で少々不思議なところで、立川談笑が「江戸に戻った時には皆が呪文を真似していて入り込む余地がなくなった」というユニークな演出を施した以外、あまりそこに踏み込んだ演者はいないと思う。その点、宮治の解釈はわかりやすい。“寿命の蝋燭”の洞窟での死神の怖さも桁違いで、衝撃のラストはこの死神に相応しい。ちなみに宮治演じる底意地の悪い死神がもたらすエンディングは立川談志の『死神』と同じだが、印象はだいぶ異なる。
『手水廻し』は純然たる上方落語。宮治は田舎の宿屋で「手水を回してもらいたい」という大阪の人間だけを上方言葉で演じている。漫画的な可笑しさがハジケるこの『手水廻し』は明らかに桂雀々の演出だ。(宮治が誰に教わったのかは知らないが) もともと枝雀の『上燗屋』で衝撃を受けて落語に目覚めたという宮治だけに、上方落語との親和性は高いのだろう。雀々その人よりも宮治のほうがむしろコテコテ感が強いが。(笑)
一之輔の『子は鎹』(『子別れ・下』)は亀吉の描き方が抜群で、父との会話の中で大人びた言い方もするけれども子供らしく可愛いのが実に素敵だ。鰻屋で亀吉が「また一緒に暮らそうよ」と言う場面で「先生がご両親に恩返ししなさいって言ってた。そばに居なきゃ恩返しなんかできねえよ」という言い回しが実にいい。一之輔が演じる亀吉は、決して泣かない。だからこそ胸を打つ。この「学校の先生が」云々というのは柳家小三治の「両親に育ててもらってるのが一番幸せなんだって先生が言ったら、みんながあたいのほうをじろじろ見るから、おいらにもおとっつぁんが居るのにって、悔しくなっちゃった」に通じる台詞。亀吉の母の名が“お徳”というのも小三治と同じ(そのルーツは五代目小さん)で、お徳が「今まで辛かった」と熊五郎に吐露するのも小三治の『子別れ』を思い出させる。今回の一之輔の高座では亀吉が「会っちゃったんだからいいじゃないか、一緒に暮らそうよ」という言い方をしたのが印象的。押し付けがましさがなく人情噺臭さがないのに感動的な余韻が心地好い逸品だ。ちなみに、亀吉が父に打ち明ける「あたいとおっかあが追い出された時、行くとこがないから歩いてたら大家さんが『こっちおいで』って言ってくれて、一週間くらい大家さんのとこに居たんだ」というエピソードは一之輔の創作。「いきなり追い出された母子がどうしたのか」に想いを馳せる一之輔の、粋な演出だ。