新入社員だった私が専務から聞いた「職場の花」という言葉。共働き家庭で育った私は「働く」ということにあまり性別を意識したことがありませんでした。自分が思っていた「働く」のイメージとは違うものを感じて違和感を覚えたのかもしれません。
その後、社内で一番女性の多い総務部に配属され、人事課で女性上司の下で残業の日々。おかげで退職まで一度も「職場の花」と感じたことはありませんでした。ちなみに、専務は優しい気遣いの方で在籍中、大変お世話になりました。
ここからは私の妄想ですが、専務の「職場の花」は、毎年女性新入社員があいさつにきたら「頑張ってね」を伝えるために使っていたおなじみの定型文のようなものだったのかもしれません。なにか返したい時のポジティブ系LINEスタンプくらいの感じ。
職場に女性が少なく、男性社員のお嫁さん候補、結婚したら必ず寿退社の時代、そのころから使い続けていて、いつの間にかそれが下の世代には違和感のある言葉になった。
2010年から三遊亭白鳥師匠は「女性は女性目線の落語をやった方がウケる」と言って落語会をプロデュースしてくれました。
白鳥師匠の「女性目線の落語」には、自分で新しい噺を作り出せという熱いメッセージが込められているように感じられました。
でも、最近よく目にする「女性目線の落語」の中には定型文を感じるものも多くて。
わざわざ?
みたいな気持ちになるときがあります。
こんなことを言う私は本当にひねくれていると思います。だけど、このひねくれている目線も私という女性の目線。人の数だけ目線はあって、目線の数だけ新しい噺も生まれる。女性か男性かじゃなくて面白いのがいい。
そんな思いを込めて落語会のタイトルを「噺ノ目線」にしました。
なぜ、出演者を女性だけにしたか。
それは、女性の自作新作を続けて観てもらえれば「女性目線の落語」の一言では片づけられないことが一目瞭然だから。
今はまだ女性の落語家が少ないし、珍しいからどうしても女性という言葉が付いて回ります。
でもいずれは「職場の花」が死語になったように「女性目線の落語」は使われなくなる。
時々感じる違和感は噺の種にさせていただきながら、これからも私は「私の目線」で落語と向き合っていこうと思います。
=おわり